バブル崩壊のまっただ中の1992年12月。
僕は生まれた。
品川で生まれ、横浜で僕は育った。
僕が今でも覚えている記憶は、
4歳の時の記憶である。
詳細は覚えていないが、幼児教室みたいなところに僕は毎週連れて行かれていた。
我が家は貧乏ではあったが、教育にだけはお金をかけていた。
これは母の方針である。
母は小学生の時から勉強していたような子供だったらしく、
毎年学級委員に推薦されるようないわゆるいい子だったらしい。
趣味は読書で、校庭で遊んだりはしない。
塾などにも行ったことはなくて、
自分でラジオ英会話と参考書で勉強するだけで
県内有数の高校と大学に進学していた。
母自身の経験もあって、
母は教育の重要性を今も語っている。
当時なけなしの金を払って、僕に教育費をかけていた。
「なんでこんなものに行かなければならないのか?」
と思っていたが、今では感謝している。
そんなわけで、僕は幼児教室のようなところにいたが、
僕は毎回積み木で遊んでいた。
集中力が超あったそうだ。
一度積み木をやり始めたら二度とその積み木を離すことはなかったらしい。
我が家は貧乏である。
家に帰宅しても僕にとっての娯楽はない。
おまけに両親は毎日喧嘩している。
家が相当嫌いだった。
この時の僕の家での記憶は父になぐられたことくらいしかない。
だからこそ唯一の遊びである幼児教室での積み木に僕は集中していた。
さらに僕が大好きだったのは、
マクドナルドのハッピーセットだ。
今思えば、あんなものに500円ほどの金額をかけることは、
バカらしいのだが、
当時はあれが超欲しかったのである。
教室帰りに僕はそれを毎度ねだった。
どケチの母にそんなものを頼んだところで、普段なら買ってはもらえない。
そう、普段ならね。
幼児教室の帰りは、
他のお母さんと子供と一緒に帰ると決まっていた。
なので、毎週友達の家族と一緒に帰っていたわけだが、
友達の家ではハッピーセットを買ってもらえるわけだ。
なので、僕はそのタイミングを狙ったのである。
「〜〜君も買ってもらってるから、僕にも買って。」
と母と友達のお母さんに聞こえるように店内で叫ぶ。
母も周りの目があるので、
買わざるを得ない。
故に他のおもちゃは買ってもらえなかったが、
ハッピーセットだけは買ってもらえていた。
だが、友達の家族と別れてからは、
母に「もったいない」とガミガミ言われたわけだが、
当時は、
「買ってもらえればこっちのものだ」
と思っていた。
全くもって可愛くない子供である。
その後僕は幼稚園に入る。
僕は幼稚園の頃は
昆虫採集にはまっていた。
それもあり、僕は祖母に買ってもらった
図鑑を毎日眺めていた。
図鑑を見ていたので、
毎日文章と戯れていたのだ。
その過程で僕は文字を覚えた。
図鑑はルビは振ってあるが、
漢字が書いてあるし、
ひらがなの勉強にもなる。
本は絵本ですら集中できないほどに
本が嫌いだった僕だが、
図鑑だけは読めた。
ずっと読んでいるのが楽しくて仕方なかった。
特にその中でも僕の心を踊らせていたのは、
カブトムシとクワガタである。
子供達のヒーローである。
僕の実家の近くは工場があったのもあり、
森が近くにあったのにもかかわらず、
ヒーローたちはいなかった。
なので、僕は祖父の家に行くのが楽しみで仕方がなかった。
祖父の家は、田舎で、
近くに畑があり、
クヌギの木もあったので、そこにカブトやクワガタがたくさんいた。
もう興奮して興奮して仕方がなかった。
僕は彼らを手に入れるために、早朝4時に起きた。
そして祖父を起こして、畑に向かうのである。
そこには立派な角を生やしたカブトムシがたくさんいるではないか。
子供だった僕は大はしゃぎ。
全部捕まえて帰路につく。
祖父母にカブトムシを見せて自慢する。
祖父の家は、
僕にとってもっとも楽しい場所だった。
家だと両親は毎日喧嘩している。
僕にとって父親は恐怖の塊だった。
ちょっと歯向かえばぶん殴られる。
母にもよくわからないお金の話をされる。
我が家を漢字一文字で表せば、
間違いなく、「貧」であると思う。
家だと両親は喧嘩しているが、
さすがに父も母方の実家にいるときは、
静かにしているし、比較的優しい。
なので、楽しいわけである。
祖父母は「子供には美味しいものを食わせてやれ。」
という価値観なので、
美味しいものを食べて、ばあちゃんには褒められて、
じいちゃんと遊んだりして
本当に幸せな気分だった。
しかし。。。。
祖父母宅から帰るときは僕は常に号泣していた。
帰りの車に乗ると、すぐに父がブチ切れるからだ。
まるで、運動部で、
先生がいなくなった後に後輩が先輩に怒られる。
まんまそのまんまのような状況である。
家に帰ってからは僕の楽しみは、
捕まえたカブトムシに毎日餌をやることだった。
ゼリーをあげたり、蜜をあげたりする。
僕は一度カブトムシ用のゼリーを食べたが、
全く美味しくないので、おすすめしない。笑
そんな愛情を込めて育てても死んでしまうこともある。
僕は号泣した。
昔からペットが死んでしまうと僕は号泣してしまう。
画用紙にクレヨンでカブトムシの絵を書いて、
名前までつけたのに、
次の日死んでしまったりして、余計に泣いてしまう。
横浜の自宅付近だと、
カブトムシはいないので、
ホームセンターで買うことにする。
とはいっても一匹1000円とかする。
幼稚園児にとっては超大金だ。
稼ぐしかない。
ということで僕にとって初めての起業をする。
肩たたき業だ。
母の肩をもんで、たたいてあげる券を画用紙にかいて販売した。
1時間10円の券である。
超破格である。
超ブラックな職場である。苦笑
そして僕は兼業もした。
お風呂清掃業だ。
風呂をひたすら磨くお仕事。
これも1回10円だ。
水垢を取り、髪の毛を取り、カビを取る作業。
これで10円。
僕は母に
「どこの家もこれくらいしかもらえないよ。お金がもらえるだけありがたいと思え。」
といった内容のことを言われて、中学生くらいまでこれを信じていた。
馬鹿正直に風呂を磨いていたのだ。
それもたった10円で。
父のタバコを買ってこいという仕事は、
かなり割りの良い仕事だった。
走ってタバコやに行ってタバコを買うだけで、
100円ほどの金額をもらえていた。
父のことが嫌いで、恐怖していた僕も
「タバコ買ってこようか?」
と聞いていたことは覚えている。
こんな風になんとしてでもカブトムシのために
お金を稼いでいたのだ。
また可愛くないエピソードなのだが、
様々な理由により、
お金にシビアだった僕は、
若干5歳にして
消費税のシステムを把握していた。
1989年に消費税法が施行されて、消費税は3%。
僕は1992年生まれなので、生まれてからは3%だ。
1997年に消費税が増税された。橋本龍太郎内閣の時である。
3%から5%になるというのだ。
詳しいことはわからないが、
これは一大事である。
今まで1030円で買えるカブトムシが1050円になるんだ。
風呂掃除を2回増やさなければ買えなくなる。
大変なことである。
受け入れるしかない。
幼稚園児ながらお金に困り、
両親も毎日のようにお金の話をしていたので、
すでにどケチになってしまっていたのだ。
なんとも悲しい幼稚園児だ。
クレヨンしんちゃんもびっくりである。
僕のお金に関する価値観の基礎は幼稚園児の頃から形成されていた。
小学生の頃はそのせいで揉めに揉めた。
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