わっきーの120万円物語

Pocket

初めまして、こんにちは、西脇です。

ネット上では「わっきー」という名前を名乗ってます。

慶應義塾大学商学部の学生をしながら、

インターネットを使ったビジネスをやっています。

詳しい経歴は後ほど紹介するので、

まずは、軽い自己紹介。

僕は2013年の3月からネットビジネスを始めて、

4月に月収120万円稼ぎました。

たった3月と4月の1ヶ月という期間で120万円という金額を稼いだのです。

6月には

ソーシャルメディアを使ったビジネスを行って

別で200万円ほど稼ぐことができました。

その後もメールマガジンを始めてみると、

メルマガだけで300万円ほどの金額を稼ぐことができるようになりました。

せどり

アフィリエイト

中国輸入ビジネス

コンサルティング

広告代行

etc

そのほかにも様々なビジネスを行いました。

2014年は、投資もやってみました。

世界中のマーケットを見て、

それに伴ったマクロの経済指標を読みながら投資をする。

それのスケールの大きさにはまり、

株やFXにも手を広げました。

いろいろなビジネスや投資をすることを通して、、

お金に全く困らないようになりましたし、

旅行に行きたい時に行くことができて、

美味しいものをいつでも食べれるようになり、

それを仲間と一緒に共有することができるようになりました。

今は、

現代社会に存在する就職であったりのしがらみから逃れ、

自分や仲間の人生を有意義にするためにビジネスをしています。

自分の能力を社会に還元して

その対価としてお金をいただく。

なんと素晴らしいことでしょう。

しかし今でこそ

そんな自由で素晴らしい人生を歩めるようになりましたが、

これまでの人生は順風満帆だったわけではありません。

・わっきーの過去

・どんな思いでビジネスを始めたのか?

・嫌で嫌でしょうがなかった家庭環境

・幼少期に抱く様々なコンプレックス

・etc

それらを交えながら、僕がどのような環境で育ち、

そして、どうしてネットビジネスに出会ったのか?

僕の核の部分を話していこうかと思います。

ーーーーここから物語ーーーー

僕は東京都品川区で生まれ、

高校卒業までを神奈川県横浜市で過ごした。

横浜といっても

横浜の中のど田舎で

家から徒歩1分でキャベツを路上販売しているおっちゃんがいるような畑があり、

さらにそこから1分ほど歩くと、

タヌキがいる森がある。

みなとみらいを代表するオシャレタウン『横浜』

そんなオシャレさは微塵も感じさせない。

そんな場所で僕は育った。

僕はそこで毎日のように自然と戯れながら育った。

夜までカブトムシを探しに行き、友達と遊びながら、

川に落ちて、びちょびちょで帰ってくるような子供だった。

後で母に聞いたら

僕のことを心配しない日はなかったらしい。

ここまで見ると一見いわゆる普通の家庭

一点だけ違ったのは、

僕の家はいわゆる貧乏家庭。

毎日のようにお金のことで両親は揉めている。

喧嘩・喧嘩・喧嘩

たわいもない話題での喧嘩もありましたが、

喧嘩の理由の ほとんどが「お金」。

学費、食事代、ガソリン代、交通費。。。

お金の魔力は一国を滅ぼすほどのものである、

同様に我が家の「家族」も崩壊させた。

両親が毎日喧嘩なので、

僕の価値観も両親に染まっていった。

「人生で一番大事なのは金だ」

その価値観を

生まれてから稼ぐまでの

「20年間と5ヶ月間という長きに渡る期間」

ずっと持ち続けたのだ。

ケチ。

子供なのに超ケチ。どケチ。

それが原因で僕から友達が離れることもあった。

子供というのは残酷で。

僕が住んでいる地域は治安が悪いというのもあるが、

平気で

「西脇の家は貧乏だからお前の服は伸びてるのかww新しいのも買ってもらえねーんだ、きも。」

とか言ってくる。

当然僕はブチ切れる。

喧嘩が強いわけではなかったが、

友達のことをぶん殴りにかかる。

顔面をなぐられ、顔に切り傷をつけ、

血をポロポロ落としながら、

泣きながらブチ切れる。

そんなことが毎日のようにある。

友達と喧嘩しても

1円にもならないし、友情がぶっ壊れるわけで、

いいことはこれっぽっちもなかったけど、

当時の僕は我慢できなかった。

それは

幼稚園、

小学校、

中学校、

高校

どの時代でも僕の脳みそをお金という魔物が巣食っていたのだ。

高校時代はようやく自分で働けるようになった。

僕は自分で稼げるのが嬉しくて嬉しくて

面接したらすぐに働けるということで、

パン工場で働きはじめた。

土日や長期休みは、

時給900円で毎日8時間パン工場に注ぐ高校生活。

最初は自分の時間を提供するだけで

900円ももらえる。

それが楽しかった。本当に嬉しかった。

だが、それと同時に労働の厳しさもすぐに感じるようになるのである。

その工場では

60度をはるかに超えるであろうフランスパンを焼く部屋にぶちこまれて、

僕は1日でいろんな箇所を火傷しながら、トイレに逃げつつ、どうにか我慢していた。

900円。そう、たった900円を求めて。

そのほかにも氷点下5度のイチゴのヘタを8時間永遠に取る作業も。

気が狂いそうになる。

毎日毎日イチゴとしか会わない毎日。

酷い日には

午前中は60度の部屋、午後は氷点下の部屋。

気温差は60度以上

そんな地獄で僕は時給900円のためだけに働いた。

それぐらいお金に困っていたのだ。

高校に入り、自分で稼げるようになったとはいえ、

基本は変わらずどケチの貧乏野郎として生きる。

その根本は変わらなかった。

そう、ネットビジネスに出会うまでは。

2013年の3月。

僕の価値観は完全崩壊する。

たった1ヶ月半で120万円という大金を稼いでしまった。

。。。。。。。。。

僕の「お金」に関する価値感は

ボロボロと崩れ去った。

僕の脳みその大部分を占めていたお金に関する価値観

それが一瞬にして変わったのだ。

所持金が3万円しかない状況から

たった1ヶ月半ほど後には、

自分の手元には120万円ほどのお金がある。

価値観が変わらないわけがない。

「福沢諭吉が100人以上いる。。。。。。」

「俺を20年以上苦しめてきたものはなんだったのだろうか?」

「俺はもしかして、悩む必要のない場所で悩んでいたのではないのか?」

「もしかしたらビジネスをすれば、俺の悩みは全て吹き飛ぶのではないか?」

そのような気持ちが脳みその中に確かに誕生した。

その後は、様々なビジネスを行って、

稼ぐことができるようになった。

今までは考えられない額をね。

大学に通いつつもサラリーマンでは稼げないであろう

月収100万とか200万とかいう金額を

たった二十歳の若造が稼いでしまう。

その後ビジネスの仕組みを作って、

何にもしないでお金が入るような状況を作り上げる。

1日の労働時間が0時間でも

毎月毎月一定の金額入ってくるような仕組みができてしまったのだ。

僕は、生まれつき金持ちの生まれでもなければ、

ビジネスセンスが育成される環境で育ったわけでもない。

ましてや天才でもなんでもない。

お金がなくてコンプレックスで仕方がなく、

労働に対して恐れを抱いていた大学生だ。

今は僕はお金に関して全く困っていない。

だけれどもお金に関して困ったあの時の葛藤は絶対に忘れてはならないと思う。

僕がコンプレックスを抱くまでの過去

そしてネットビジネスで稼いでいくまでの物語を

ここに記しておこうと思う。

不安で仕方がない人生を歩んでいる人たちの

手助けになれば幸いである。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

僕は月収にして大学生の頃から500万円を稼いでいます。
ですが、
月収500万を稼いでいますというと、
超絶怪しいですよね。
お前には才能があったんだろ?とも言われます。
僕はもともとビジネスが得意だったわけでもなければ、
しゃべるのが得意だったわけでも、
ましてや文章を書くのが得意だったわけでもありません。

そんな僕でも自信を得ることができて、
月収500万円まで稼げるようになりました。
プライベートにもとても良い影響をもたらしてます。
結局慣れなんですよね。

どんな人でも稼げるし

学んでいけば誰でも自信を得て稼ぐこともできる
僕わっきーが慣れて、そして月収500万を稼ぐ過程を下記の記事では公開してます。

月収500万になれた僕わっきーの行動理念

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【下記画像をクリックして、大学生月収500万物語の続きを読む】



>>詳細が気になる方はコチラをクリック<<
Pocket