こんにちは、わっきーです。
僕は毎日毎日家で漫画を読んでいた。
そして隠れてゲームをやっていた。
来る日も来る日も学校に行かずに。
僕が不登校になったのは、
14歳の中学生の頃である。
目次
中学生で不登校
元々僕は学校という場所が好きではなく、
小学校の時も時折休んでいたし、
中学校は特に大嫌いで、
1年2年は不登校というほどではなかったけど、
よく休んでいた。
ちょっとだるかったら、
「いいやーいきたくねえ」
となり、休む。
僕はとにかく学校という場所がどうにも、
楽しくなさすぎてびっくりだった。
あくまで行かないと、
いけないんだろうなあという場所でしかなかった。
両親の話をする。
僕の両親は、とにかく喧嘩が多かった。
毎日毎日うるさい。
そして僕は父親の存在が怖かった。
僕が小さいとき3歳だか4歳だかのときに、
殴られたときの恐怖があり、
それ以降は、常に殴られる恐怖と戦っていた。
そして父は、怒鳴るし、酒を飲むと、
手がつけられない。
で、母は、それに対抗しまくっていた。
当時の僕は、さっさと形だけでも詫びておいてくれ。
俺に火の粉を飛ばしてこないでくれ。
と本気で思っていた。
何より父が怖いのである。
不登校の話に戻す。
不登校の仮病の弊害
不登校で、学校に行かないとなると、
母には「行きなさい」と言われる。
そんなことを言われても、
あまりに行きたくなさすぎて、
最初は仮病を使って、休んでいた。
だが、それをやり続けると、
本当に頭も痛くなるし、
気持ちも悪くなってくる。
仮病が本当の病を引き起こすのである。
最初は、週に1回だった休みが、
だんだん2回になり、
3回になり、
そうなってくると、一週間全部休んでしまえ。
みたいな気分になり、5日間連続で休んだ。
一週間も休んでいると、次の週は異常レベルでいくハードルが上がる。
明日こそは行こう。
と毎日のように思っていたが、
どうにも体が動かなくなるのだ。
そして、あまりに学校から離れすぎて、
学校に行ったら、クラスメイトにキモがられるなという恐怖で、
完全にいけなくなった。
もうこうなってしまっては、
学校に行くことは難しいように思える。
行かなければいけないことはわかっている。
だが、いけない。
不登校デフレスパイラル
僕は不登校による自己否定のデフレスパイラルに陥っていた。
今思えば、学校に行かなくても、
死ぬわけではないし、中学校は行かずとも卒業することができるから、
人生なんとかなるということもわかる。
中卒でも大検をとったり、中卒で起業してうまくいってる人も予想以上に多かった。
だが、当時は自信がなくて、俺の人生終わっているなとしか思っていないので、
何も考えることができない。
僕が学校に行けなかったのは、
仲良いなと思える友達がいなかったのは大きかった。
僕は友達に対して、
素直ではなかったのが理由ではあるが、
友達だと思っていた人間に裏切られたこともある。
そんなこともあって、
人を信用できなくなった。
僕に友達ができなかったのは、
貧乏と貧乏きっかけでこじれた人間性に問題があった。
僕はドケチだった。
僕は貧乏であるがゆえに、
超が10個くらいつくほどのケチだった。
ドブに10円が落ちていれば、
ドブの中に手を突っ込んで探すほどであり、
自販機の下から小銭を拾うために、30cm定規を持って下をガサガサやったりの
貧乏でケチな価値観だった。
友達の前だろうが、
金を優先していた。
そんな光景を目の前で見たわけだ。
僕はドン引きされていたのだろう。
小中学校の時の子供の価値観は、
ごく稀な事例を除けば、
親の価値観に依存する。
僕の両親は超ケチだった。
僕と母は10円をきっかけに喧嘩をしたこともある。
父と母は金をきっかけにした問題でよくもめていた。
たいした値段の差ではないが、
異常なほどに揉める。
それもあり、僕はケチ教に洗脳されて、入信していた。
そもそもお金というのは、
単なる手段である。
価値交換の尺度でしかない。
なのにそれで親は揉めまくりだった。
嫌でもケチ教はこびり付いてくる。
20歳から経営というものに携わってから思うが、
ケチだと本当にろくなことはない。
僕はケチでさらに金がなくて、
モンスターハンターが買えなくて、
友人に仲間はずれにされたこともある。
こういったところでどんどん友達はいなくなる。
さらにこじらせる。
そして金銭的にケチだと、
たくさんのものを知ろうとする気概さえなくなり、
他人を理解しようとするのではなくて、
価値観を押し付けるようになる。
勉強をしまくっている人が寛容なのは、
単純に世界が広いことを知っているし、
他人に価値を提供できるからだ。
不登校の話に戻す。
そんなわけで、僕は友達としょっちゅう喧嘩をしていた。
自分に自信がないからこそ、
ちょっといじられただけで、
馬鹿にされていると勘違いして、僕はブチ切れているわけだ。
あっちからしたら、
「なんでわっきーはそんなに怒っているの?こいつきもいな」
みたいな感じである。
ケチでおまけにガリガリのチビ
僕はそれに加えて、
僕はガリガリでチビだった。
余計いじりたくなる。
それがだんだん殴られたり、
ペンを盗まれたりに発展してきた。
ガリガリだったのは単純に運動量がえぐかった。
お金もないので、
どこに行くのも自転車だった。
それもあって、
痩せまくりで、飯食っているのか?こいつという感じだった。
喧嘩上等のヤンキー中学
僕の中学校は、
今時「喧嘩上等」とか書いている
学ラン着たりしてくるくらいヤンキー中学校だった。
喧嘩にタバコにバイクに酒。
そんな感じである。
僕はこの場所が大嫌いだった。
基本的に僕は他人に迷惑をかける人間が嫌いだった。
すぐに殴ってくるし、
怒鳴り散らしているし、
どうにもこういった人種がムカついた。
なのに、そんなヤンキーに限って、
彼女がいたりするとかもあったりして、
余計にむかついた。
僕は、自信がない、素直になれないなどの理由で、
女に興味がないキャラクターを演じていた。
「彼女とか別にいらねーし」
実は彼女とか欲しがりまくりだし、
女にもてたがりまくり、
けど興味がないということで自我を保っているのである。
本当は女の子大好きなのである。
だがそんなことを言ったらキモがられると思ってますますいえない。
自信がないのが問題なのだが、
自信の得方など知らないし、
ゆえに虚勢を張りまくりである。
さらに学校に毎日行けてなくて、
余計自己否定感があるから、
さらに自信がなくなる。
しかし当然その時は、
こんなに客観的に自分を見ることなんてできなかった。
昔話に戻る。
そんなこんなで、キモがられていたからこそ、
ものを盗まれたりもした。
ばあちゃんのゲルグリップ事件
僕は超お金がなかったが、
どうしても500円のゲルグリップのシャーペンが欲しかった。
なんかぶよぶよしているグリップで、
初めてクラスメイトが持っているのを見た時は、
SFチックで超かっこいいと思った。
どうしても欲しい。
となったので、
正月にじいちゃんばあちゃんやおじさんがくれたお年玉で買った。
茨城県の某場所にある、
イトーヨーカドーで買った。
お年玉をもらってからワクワクして買ったのだ。
青色のゲルグリップのシャーペンだった。
もう超気に入った。
それを手にした僕は、
なんでもいいから文字を書きたかった。
だから適当に漢字の練習をした。
小学校の時の漢字練習帳があったので、
それを見て、広告の裏紙に漢字を書きまくったのだ。
そのくらいお気に入りになった。
だが学校に行って、
僕がゲルグリップを使っていたら、
クラスにいる奴らが何それと興味を示してきた。
貸せよ。
みたいな感じで奪ってきた。
僕の中学校では、
こういったヤクザまがいの行為が当たり前のように行われていたが、
みんな黙って我慢していた。
だが僕は我慢がならなかった。
返せよ。
と言って、奪い返した。
それがとんでもなく気に障ったようで、
殴り合いの喧嘩になった。
しかもあっちには仲間がいたのもあり、
僕は4人ほどに絞められた。
たかがシャーペン1つだ。
だが僕にとってはとても大事なものだった。
お金がないからこそ、
久しぶりに何かを買えば、
感動して子供のように喜んでいたのだ。
(子供だけどw)
そんな喧嘩の後も、
僕は学校に行った。
で、何日か経った時に、
学校に筆箱を忘れてしまった。
さらにそのあとに、
3日間ほどなんとなく行きたくねえくらいの理由だが、
学校を休んだ。
で、嫌な予感はしつつも、
学校に行ったが、
僕の筆箱の中からゲルグリップはなくなっていた。
盗まれた。
誰に聞いても犯人は分からない。
正確に言えば、犯人はわかっているのだが、
誰も認めない。
盗んだ奴に、
返せよ。って言っても、
証拠はあるのかよ?
疑うとかふざけんな的なことを言われる。
それで追求できずに、
もやもやしながら、
僕はとぼとぼ帰った。
とぼとぼ帰る途中で、
僕はじいちゃんやばあちゃんの顔が思い浮かんだ。
イトーヨーカドーに行ってワクワクしている自分を思い出すと、
余計に怒りが湧いた。
お年玉で買ったのに。
悔しくて、悔しくて涙が出た。
怒りの形相で涙を僕は流していた。
中学生の僕の心はだんだんと壊れていった。
社会に対する不信感はどんどん増幅していった。
あっちは最初はちょっとからかってやろうというつもりだったのだろうが、
僕からしたらいじめだった。
しかし当時はいじめられたなどと思わなかった。
正確に表現すれば、
いじめられる=ダサいという方程式が当時は成り立っていたので、
どうしてもいじめられていると認めたくなかったのだ。
ちょっと余談ではあるが、
いじめられているお子さんがいたら、
ご両親は、
「いじめられてるの?」などと聞いてはいけない。
傷を抉るようなものだ。
無言でそれは理解して、
解決策を必死に勉強して考えなければならないと僕は思う。
正直に親に言いたくないことは子供にはあるのだ。
学校以外で自信を作る手段をなんとかして作ってあげてほしい。
話は戻る。
もう学校には行きたくない。
いってもろくなことはない。
基本的に、自分は雑魚感あふれまくりなので、
どんなやつにもそれ相応の対応をされる。
そうなってくると、
被害妄想も暴走的に発動する。
実際に被害も受けるし、
妄想も暴走するので、
脳内がパニックになる。
辛い。
だが辛いというのは、
かっこ悪い。
「俺は辛くなんてない。」
「辛くなんてないのだ。」
「辛くなんてないんだ。」
「辛くなんて、、、ないんだあああああああああ。」
そう必死に無意識では叫んでいた。
「誰か信用できる友達になって」
「本当に仲良くなれる人いないかな」
「転校したいな」
「学校なんて行きたくない」
心の底から叫んでいたのだ。
他にもエピソードはいくらでもある。
不幸というのは、たたみかけてくるのだ。
負の連鎖が始まるのだ。
他にもこんなことがあった。
僕は遊戯王カードがかなり好きだった。
よく友達とデュエルをしていた。
こいつらは仲が良くて信用できると思っていた。
だけど、僕は知らぬ間にカードを盗まれていた。
信用できない人がいないというのは、
とてつもなく辛い。
僕はめちゃくちゃカードが強かった。
弱いカードで戦略を組むというのが、
超得意だった。
というか弱いカードしか持ってなかったから、
戦略的になるしかなかった。
実際は得意というかパターンを覚えてたから勝てただけなのだが、
当時はそれを強いと思っていた。
ゆえに将棋やチェスなどは全然強くない。
すぐ負ける。
まそれはいいとして、
その弱っちいカードで、
大会に出ては優秀したり、準優勝したりしていた。
世の中には、
カードの大会というものがあるのである。
大会には子供の他に、
大人も出てくるのだが、
その大人たちをガキンチョの僕が倒している時は、快感だった。
その上で、
大会で良い成績を残すと、
カードがもらえたりする。
カードをもらって、さらに強くなる。
どんどんレアなカードを手にするようになった。
それで、友達からすると、
レアなカードを手に入れてて羨ましかったのであろう。
僕のカードの1部はいつの間にかなくなっていた。
友達だと思っていたのに、
笑顔で絡んできたのに、、、
全部嘘なのかな?
悲しくなった。
人を恨んだ。
僕は当たり前だが、
盗む奴が死ぬほど嫌いだ。
さらにお金がないので、
余計にダメージがある。
盗まれたら、
走馬灯のようにじいちゃんばあちゃんの顔が出てきてしまうのだ。
それが辛くて辛くて、
仕方がなかった。
人を信用できなくなる
僕の友人の中には、
本当にいい奴もいたのだが、
そういった経験を機に、
そのいい奴でさえ信用できなくなった。
関わるのが怖いのである。
裏でバカにされているんじゃないか?
また騙されるんじゃないか?
そんな思いに僕は支配されていた。
ますます家から出たくなくなった。
自分を信じる「自信」がないのも辛いが、
人を信じる「信用」が自分の中にないのも辛い。
僕の世界からは、
「信」という言葉は消滅してしまったのだ。
僕はひたすら引きこもった。
ずっと仮病だった。
仮病は本当の病に転じて、
常に頭が痛くなるようになった。
ゴミ捨てに行くのも超辛いのだ。
母が命令してきたので、
なんとかして家から出てゴミを捨ててきたが、
日光を少し浴びるだけで、
頭が超痛くなる。
日光を浴びるだけでも、
頭が痛くなるなんて普通の人間からしたら意味不明だろうが、
マジでそうなるのである。
だが、暗いことばかりで生息していると、
気分がどんどん鬱になってくる。
今思えば、中学2年の頃は、
完全に鬱だったと思う。
精神的に狂っていた。
愛が欲しかったのだ
僕がそんなになっていても、
親は普通にテレビを見て楽しそうだったし、
親父は帰ってきたら酒を飲んで、
いきなり切れ始めて母と喧嘩。
なんかもうわけがわからなかった。
愛情にことごとく飢えていた。
「信」という文字も求めていたし、
「愛」も欲しがっていた。
「親愛」を求めていたのだ。
だからこそ、裏切らないものに依存していた。
僕は毎日毎日家で漫画を読んでいた。
そして隠れてゲームをやっていた。
来る日も来る日も学校に行かずに。
それしかなかったのだ。
絶対に漫画は裏切らない。
僕は漫画を読んで読んで読みまくった。
毎朝頭の痛い中で、
10時くらいに起きる。
両親はすでにいない。
適当にパスタを茹でたり、昼食を食べる。
パスタは安いからという理由で、
家に大量にあった。
適当に飯を食った後は、
ずっと漫画を読んでいる。
家では、僕はゲーム禁止で、
ネットも使えなかった。
ゲームはやっていたら親父がすぐに分解してバラして使えなくなってしまう。
父は技術系の職場であり、
そんなことはお茶の子さいさいなのである。
だから僕は両親がいない時に、
隠れて、テレビにゲームをつないで、
ドラゴンクエスト、通称ドラクエをやっていた。
ドラゴンクエストは、
不登校の時に超ワクワクしたことの1つだ。
ゲームのストーリーも面白かったし、
中毒症状レベルで引きこもってやっていた。
さらに僕がワクワクしたのは、
鳥山明先生が作画だったことだ。
ドラゴンボールに似たキャラクターがどんどん出てくるのだ。
テンション上がりまくりだった。
ま、その時は素直じゃないので、
無表情だったが。
しかし、
僕に夢中になれるものがあったのは、救いだった。
我を忘れてゲームの世界、漫画の世界に入ることができたために、
現実を忘れることができたのだ。
学校に行かないことで、
僕は毎日自己否定をしていた。
自分はダメなやつなんだ。
そうなってくると、どんどんダメ人間になる。
その救いがゲームや漫画だったのだ。
夢中だった。
親とも絡みたくない。
誰とも絡みたくない。
だからこそ閉じこもっていたのだ。
漫画が大好きだった
漫画は、
僕は手塚治虫の作品が好きだった。
・ブラックジャック
・七色いんこ
・海のトリトン
・ビッグX
・ジャングル大帝レオ
・マグマ大使
・火の鳥
僕が小学校の頃に、
お年玉で買った手塚治虫作品だ。
何度も読みまくった。
他には、
ドラえもん、ドラゴンボール、NARUTO、金色のガッシュ、名探偵コナン、犬夜叉、らんま二分の一、こち亀
などなど古い漫画から、最近の漫画まで読んでいた。
今思えば、
漫画のキャラクターに憧れたのだろう。
僕は道標を求めていたのだ。
なんとかして自己否定の渦の世界から抜け出そうとしていた。
特にブラックジャックには、すごい憧れを覚えた。
誰も治せない病気を治す。
だからこそ法外な金額を請求しても、
成り立つ。
そして、ブラックジャック(間黒男)は、
友達がいない。
たまに患者が3000万円ほど持ってきて、
手術をする。
すごいかっこいいなと思った。
中学生で不登校の僕にとっては、
漫画のキャラクターはヒーローだったのだ。
だが当時はそんな素直にかっこいいと思っているわけでもない。
「ま、ブラックジャックはかっこいんじゃね?」
と斜に構えまくりである。
素直になどなれない。
これは不登校なうの人は、
超共感というか、
実感できるはずだと思う。
この素直さというものは、
人類みんなが持つべきだと思う。
素直になれば、
どんどん学ぶ人が増える。
僕が素直という言葉の真の意味を知ったのは、
起業して、
お金、時間、精神、身体
すべての自由を手にした20歳の時になるが、、、
話は戻る。
僕は漫画をどんどん読んだ。
どれだけ読んだかわからない。
学校に行ってもないくせに、
テレビを見るな。
と両親に言われていたので、
僕はテレビを見ることは怖くなっていた。
親という子供にとっての指針
親の仕事は、
道標を作ることだと思う。
大前提を共有しておくと、
親子の関係は誰にも代わることができない。
親が子供にとって、
存在として微妙だとそれは一生ものの記憶になる。
もちろん悪い意味でだ。
僕の両親、特に父だが、
僕に対して、よく
「そんなこともわからないの?」
「そのくらいはわからないのは馬鹿だ」
などとよく言っていた。
覚えているのは、
時の総理大臣がどんな人かわかってなかった時に、
「それは常識でしょ?」
的なことを言われた。
たかが、、、、そんなことである。。。。が。
僕は馬鹿にされたと感じた。
というか知らないでも困らないんだけど、、、、
と思ったが。
セルフイメージは下がった。
この時に、
「総理大臣って人はね。
このような職業なんだよ。
りょういちは(わっきーの下の名前)が総理大臣になったら、
日本を動かしちゃうね。
で、今は、
小泉純一郎って人が総理大臣なんだよ。
小泉さんって人は慶應大学って大学なの。
ここはおじいちゃんが憧れた大学なんだよ。
大学は小学校の延長だね。
楽しいところだよ。」
とか言ったら、
少年の人生は変わったかもしれない。
約6年後、結果的には僕は、
運と戦略で慶應大学に合格した。
自宅浪人を1年やってからの合格である。
僕の父方の祖父がどうしても孫に入って欲しかった大学である
ここの話を掘ると大変なことになるので、
話は戻る。
小学生にとって、
時の総理大臣のことはよくわからない。
てかどうでもいい。知っていても知らなくても生活に影響しない。
特に僕は人の顔を覚えるのがやたら苦手だった。
だが、
総理大臣がわからないとどうやら馬鹿らしい。
子供はいとも簡単に親に洗脳される。
子供にとって最大の道標は親なのだ。
まさに背中を見て育つのである。
あと一番覚えているのは、
『9.11』
アメリカ同時多発テロ事件である。
21世紀最大規模のテロ事件であり、
これほどまでに世間を驚かせたニュースはない。
というのは今なら理解できる。
これは、2001年の9月11日に起こった。
僕は8歳だった。
僕はその事件の重大さが全く理解できなかった。
母は、
「あんた何でこんな大事な事件を理解できないのよ、ばかじゃないの」
的なことを言ってきた。
確かに理解できた方がいいかもしれない。
だが小学生だった僕には、
よくわからなかった。
連日ニュースを見ることで、
ことの重大さを理解したが、
当時はそっかーくらいでしかなかった。
僕は親に馬鹿にされた。という記憶だけが残った。
そんなことでと思うかもしれないが、
子供なんてその程度のことでダメージを受けるのだ。
実際、母にはこのことは聞いてみたが覚えていない。
悪気はないし、愛情があったのだろう。
だが、愛情表現を間違えていたのだろうと思っている。
先日母と喋った際に、
そのことを打ち明けた。
昔は辛かったよ。とね。
今の僕は自信があるし、
両親に経済的に援助を受けていないので、
ぶっちゃけで親に何でも聞けるし文句も言えるが、
当時はそんなことは恥ずかしいし言えやしない。
今は親をそこまで恨んではない。
特に母には部分的には感謝している。
誰のおかげで育ったんだ?
と言われたら母のおかげではあるし、
もやもやしながらではあるが、何とか感謝はしている。といった感じだ。
昔の話に戻る。
特に僕は愛情に飢えていて、
自信がなかった。
父親は怖かったし、
母親に対しては喧嘩を頼むからしないでくれ。
こいつらとは関わりたくない。
そんな感情を抱いていた。
だが、子供にとっては、
親が指針になるわけだから、
親がお前は馬鹿だと言えば、
馬鹿だと思ってしまうわけだ。
表面上は、
馬鹿だと思ってなくても、
無意識が馬鹿だと感じてしまうのだ。
負の連鎖の入り口になってしまうのだ。
大人は子供にとってやっぱり大人なんだ
子供からしたら大人はすべて凄く見える。
小学生の頃は中学生が大人に見えたし、
中学生の頃は高校生が大人に見えて、
高校生の頃は大学生が大人に見えて、
大学生の頃は社会人が大人に見えた。
知らないことは、
すごそうに見えるのだ。
当時の僕に言ってあげたい。
知識をつけろと。
そうすれば、自信が生まれると。
もっと言えば、
知識をつけまくって、
どんどん進化している人にあわせてあげたい。
と思っている。
そういった人に触れることで、
人生は変わっていく。
親に触れても人生は変わらない。
(例外はある)
そんな当たり前の事実を教えてあげたいのだ。
知ったからといって、
その世界に飛び込めるかはわからないが、
希望が1つでもあることは人生を明らかに変える。
僕には希望なんてなかった。
希望があれば、
それだけで世界がよく見えるようになるし、
挑戦的に動けるようになる。
しかし僕は、
家にずっといて、
ゲームをやるか漫画を読むだけ。
学校にはどうしてもいけないのだ。
悲しいかな。
そんな人間に希望など降ってはこない。
何をしていいかなど全くわからない。
暗中模索すらできなかった。
続く
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僕は月収にして大学生の頃から500万円を稼いでいます。
ですが、
月収500万を稼いでいますというと、
超絶怪しいですよね。
お前には才能があったんだろ?とも言われます。
僕はもともとビジネスが得意だったわけでもなければ、
しゃべるのが得意だったわけでも、
ましてや文章を書くのが得意だったわけでもありません。
そんな僕でも自信を得ることができて、
月収500万円まで稼げるようになりました。
プライベートにもとても良い影響をもたらしてます。
結局慣れなんですよね。
どんな人でも稼げるし
学んでいけば誰でも自信を得て稼ぐこともできる
僕わっきーが慣れて、そして月収500万を稼ぐ過程を下記の記事では公開してます。
月収500万になれた僕わっきーの行動理念
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