年収3億円の僕の過去シリーズ【ラーメン大盛りにしようとすると殴られた昔話】

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【ラーメン大盛りにしようとすると殴られた昔話】
高級ホテルに泊まってて、4万するマッサージを受けていたら、色々と降りてきてしまったので、書きますね。

https://www.instagram.com/p/CFezCWGA8yv/
上記がインスタのリンクです。ぜひフォローしてくださいな。

動画はgoproで撮った石垣島の海のカクレクマノミ(ニモ)です。
可愛かったので、撮ってしまいました。今日はマンタも目の前でみれて、可愛いしデカかったです。

それはいいとして、


僕は今YouTubeやブログで発信してお金がない人や自信がない人が自信を持って人生楽しんでもらったり、恋愛を楽しんでもらったり、稼いでもらっていろんな経験をする手伝いをする仕事をしています。

僕自身稼いで人生変わりました。
それまでは自己肯定感もなく、金もなく、自信もなく、愛されてる感も、誰かを愛すような気持ちもない人間でした。


だけど人生変わったのです。
今は仕事もプライベートも充実してます。
自己肯定感も爆発的に上がり、ビジネスや心のあり方を教える弟子も何十人といます。

億単位で稼ぐ奴もたくさんいます。


僕はそんな感じで別人の人生を歩むようになりました。


僕の場合は、
起業して人に無限に価値提供できる仕組みを作ってしまったので、お金と時間の自由から解放されてしまうという昔の僕から見たら、なかなか羨ましい人生になりました。

Youtubeもチャンネル登録者先日8万人超えました。


そんな感じでビジネスのプロフェッショナルをやってます。ビジネスプロになると、時間とお金からは解放されてしまいます。

結果として、
帰りのチケットを買わずに旅行に行ったり、
先輩に会いにNYに弾丸で行ったり、
ウニ食べたいと思った瞬間に手ぶらでタクシーに乗り「今から羽田で」といって同乗者をビビらせながら、札幌に旅立ったり、
カタールの王族になんかノリで会いにいったり、
アパートを建てたいなーと思ったから、稼ぐかーと思って、1ヶ月後に5000万稼いだり、
テニスで疲れた身体を癒すためにマッサージに週8行ったり、
映画に関わってみたら面白そうと思って、映画の撮影と政策をしてみたり、
人気雑誌モデルとコラボしてyoutubeを作ってみたり、
キャバクラの経営を改善するために女の子に指名の取り方をコンサルしたり、
お世話になってる先輩に500万円のワインをご馳走したりと色々と楽しい体験をしております。

そんな僕ですが、20歳までの人生はそれはもうとても貧乏すぎて、自己肯定感低すぎるものでした。

ブログやYouTubeでも散々語っていますが、我が家はとても貧乏でした。

いや、正確にいうと絶望的なまでに貧乏というよりは父が子供、つまり僕や家にはお金を使いたくなかったようです。


だからこそブランドものの時計を買ったりはしてました。


当時はケチは節約であり、節約=最高
という洗脳を受けていたので、気づきませんでしたが、
異次元に父も母もケチでした。


ケチは自己肯定感も自信も抹殺します。

具体的には、
・ラーメンを大盛りにしようとすると、父が怒鳴り散らし、殴られる。
・サイゼリアは高級イタリアン料理だと洗脳されて、それを小学校で話した僕は、超ばかにされる。
・エアコンをつけようとしたら、水浴びをしろといわれる。
・食事中も含めて、電気代の無駄だという理由で、僕の意思ではテレビが見れない。
・トイレを流そうとすると、水が勿体無いから、風呂の水をおけでくみ、流せといわれる。
・シャワーはもったいないから、シャワーは浴びるなといわれる。冷えてね?って状態で風呂に入る。
・雨が降っていようが、雪が降っていようが、傘は高いから、基本買わない。濡れても、筋トレしたらあったまるといわれる。
・我が家は横浜にあったのですが、基本20キロはチャリ圏内だと洗脳される。ママチャリで時速30キロ近く出す能力がおかげで着く。余談ですが、この時に足を鍛えすぎて、上半身が太っても、謎に足だけモデル体型。
・買い物に行ってこいといわれて、拒否すると、じゃあお前は今日は飯抜き野宿なと言われる
・買い物に行ったとしても、20円ほど近くのスーパーより高い卵を買ってしまい、母がなんでこんな高い卵を買ったの?と怒り、数時間文句を言い続ける。
・伸びた服を普通に来ていたので、服が伸びたという概念が生まれなかった。
・車で送り迎えをしてもらっている友人の両親ことを父は金の無駄だといってディスる
・父は旅行などの経験することなど何も生まれないと言って、時計などに使う。唯物論的な思想が洗脳された。
・冷凍食品のチャーハンを我が家では白米と合わせて食べることによってかさまししていたのだが、かさまし無しで食べた時に美味しすぎて衝撃を受ける。そしてその後希釈せずにチャーハンを食べたことにより母がブチ切れる。
・コンビニに行くのは貴族と言われて、起業してそれなりに稼げるまでコンビニや自販機で物を買ったことがほとんどなかった。家で麦茶を作りペットボトルに入れて持って行ってた。
・家の風呂掃除の日給が10円だった。おかげで浴槽のカビを取る能力が飛躍的に上昇した。
・僕が祖母に買ってもらったゲームを楽しくやっていたら、楽しそうなのがむかついたのか父が分解して絶縁テープをかまされて、電源が入らないようにされた。寝て起きたら電源がつかないとなって、犯人はこいつしかいないと思い、父を殺したくなりました。父は機械に強いです。


父は僕が楽しくしてるとムカつくんですよね。


周りが楽しそうだとムカつく症候群でした。


母にも切れてたし
それで僕にも母は切れてきます。


負のスパイラルです。


両親は常に喧嘩だし、
常に顔も怒ってました。


僕は小学生くらいまで本当に常に親が怖く、特に父ですが、同じ空間にいることが恐怖でしかありませんでした。


父親が起きてきたら即外に逃げてました。


ま、外に友達が大量にいれば良いのですが、先ほど書いたようなコミュニケーションを常にしてるので、正直人との距離がわからなかったんですよね。


おまけに金なさすぎて周りがやるゲームをやれないとか常に服が伸びてるとかできもがられました。いじめみたいな感じでもディスられまくりました。


おまけに飯食わなすぎてガリガリだったので、それもいじめの対象でした。

親にゲーム欲しいななどといっても、
母はゲームなんかやっても目が悪くなるだけ。必要ない。と言われました。


愛されてる感が親からなさすぎて、ダメージを常におってました。
傷つきまくってました。

ただ、唯一救いだったのが
祖父母です。

母方の祖父母が僕に並々ならぬ愛情をくれました。

そのおかげで少年犯罪に走らなかったんだろうなと思います。

祖父母には感謝でしかないです。
祖母は料理が得意で好きなので、
電子レンジや炊飯器を買ったら喜んでいて本当に稼げるようになってよかったなと思います。

祖父は趣味で畑をやってたので、
種を買いました。


遼(僕の下の名前)スイカがとれたぞーなどといってくる祖父はいつまでもいてくれと思います。


祖父母のおかげで、わずかな自己肯定感がありましたが、基本的には夏休みなどしか会えないので基本は牢獄生活のようなマインドで生きてました。


そうなると暗くなるんですよね。


結果友達もできないし、
友達だと思っていたやつにも裏切られたりします。


どんどん陰鬱になります。
自信もなくなります。
自己肯定感0になります。


金さえあれば人生変わる。
そのように思うには十分な環境でした。


親は常に金がもったいない。
金がかかるなあ。
林間学校なんかしないでお前は給食でも食ってろ。

などといってました。まあまあ頭おかしいです。


ただその頭おかしいやつの血を継いでいる自分も殺したくなることが何度もありました。


僕は高校に入ってから本当にびっくりしました。


あるパン工場で働いたのですが、
時給が900円もらえるのです。


え?時給?
じゃあ俺が今までやって来た仕事はなんだったの?


時給900円で8時間働けば7200円です。

え?


電気代とかもそうだし、携帯もそうだし、全て余裕で払えるやんけ。となりました。

親父はさすがもう少し稼いでいるだろ。


じゃあなんで、ケチなの?となり、あー俺に興味がないのね。と余計になりました。


多分ミスって生まれたんだな。できちゃった結婚だなと思いまして、両親。特に父とは、余計に赤の他人感を高めることになります。

小中高全体的に、テストで70点をとっても、
は?俺が子供の頃は90点が普通だ。
母も勉強なんかしなくても、90点くらい普通でしょ。


などと言ってくるわけです。

高校にもなると、もはや両親はアホすぎるので、早くこの牢獄から出ないとと思っていたので、もはややれやれ。またなんか言ってんなという達観した思考になりました。

なので、どうしても良い大学に行き、良い会社に入るぞという決意が高まりました。

それもあったし、
東日本大震災でBBQに連れて行ってくださった、友人のお父様が亡くなったこともあり、受験勉強をサボりまくっていた僕ですが、ちゃんと生きようと決意して、その結果慶應大学に合格しました。


ちなみに合格発表のその時に父は、
俺は受かると思っていたぞ。とか言っていて、こいつ本当に頭おかしいな。と思って、殴りたくなりました。

そんなこんなで慶應に入るのですが、
基本的に、自信がないのは、あまり変わりません。


ちょっと慶應に受かって、自信がつきましたが、ゆーても周りも慶應なので、まあね、、、って感じです。


今の僕を知っている人はマジ?って思うかもしれませんが、ガリガリでしたし、コミュニケーション能力はマジで自信がありませんでしたし、これと言った趣味は、パズドラしかなかったので、語ることもなかったです。

すごく言いたいのは、
今自信がなかったり、コミュニケーションに自信がない人は1つでもいいから趣味を持つべきだとおもいます。


例えば、僕はダイビングが好きで、
本日も潜って、マンタを見て来ましたが、
そんなのが1つあるだけで、ダイビングつながりでお友達ができます。

それがだんだん自信を増やしてくれます。


今自信ないなら1つでもいいから何かをやっていく。
そのようなことをやっていくしかないです。


僕も運悪く、自信や自己肯定感を抹殺する家庭に生まれてしまいましたが、泥臭く、戦い、起業したことにより違う世界に到達することができました。


誰でも気合い次第ではいけます。


人生なんて、簡単に変われるんですよ。

難しいように見えて簡単です。
一歩踏み出すだけです。

今あるOLさんに起業の仕方を教えていますが、最初は何もできませんでしたが、だんだん知識をつけて色々とできるようになり、最近は本人にもファンがついて来て、懇親会をしたりして、楽しんでるみたいで、すごく楽しそうです。

このまま奴隷のようにOLをやり続けるのか?と絶望していましたが、知識を得たことによって変わったのです。


話戻しますけど、
慶應入ったはいいけど、根本的な貧乏問題は解決してませんし、なんかバイトも面接で落ちたんですよね。

多分目つきがやばかったんだと思います。
人間不信目線を極めてたんでまあやばかったでしょう。睨みつけてたと思います。

慶應入っても、俺はバイト落ちるんかい。
人として終わってんなと思ったんです。


そんな時です。
起業の世界に出会ったのは。

金欲しいなーとおぼろげに思って、
ネットで調べていたら、超怪しいブログを見つけてしまったんですよね。

これが人生を変えてくれました。

運良く、そのブログを書いている方がすごくよかったのです。
起業の世界のその道のプロに会いました。
それが20歳の頃なのですが、

そのプロがもうやばくて、
25歳で年収2億くらい稼いでいる人でした。


これまでの人生では体感したことのない衝撃でした。


で、その方の弟子が起業塾なるものをやっていたので、その人から日雇いのコンサートスタッフと引越し屋さんのバイトを突っ込みました。
毎日20時間くらい働き稼いだお金を全部ぶっ込み、習い始めました。


そうしたらブログにも書いてるんですが、
フライパンを転売することに成功して、
120万円稼げてしまいました。


革命です。


ビジネスってすげえ。起業すげえ。となり、この世界に夢中になります。


無限に学んでやる。
この世界の知らないことは全て抹殺して、掌握してやる。という意識が上がりまくりました。


そうしたら、世の起業家たちは案外不勉強だということに気づいて、時給が10万とか超えるようになってしまいました。


学んだことを20歳の時から、65歳の30年選手の経営者に教えたりしてました。

キャバクラの経営コンサルをしていたのもこの頃です。

ま、今回は、ビジネスの話を超したいわけじゃなくて、自己肯定感マックス0の僕みたいな人間でも買われるってことを言いたいのです。


苦手なことを克服した時の、
人生進化している感は他の何事にも形容しがたいテンションの上がり方があります。

なんか舐められるなーって人は、例えば、マッチョになるのを目指してもいいです。


筋トレして、スタイル良くなれば、
いろんな人が褒めてくれるようになって、
自信になりますよ。恋愛だったら恋人もできるかもしれない。


僕はビジネスしてから、
恋愛の自信も超つきました。

だって周りに女子増えたし、褒めてくれるんやもん。
普通に嬉しいわーって感じです。で、付き合うみたいな事態にも発展したわけです。


その過程でファッションを学んだりもしました。


服が伸びまくって、その概念すらなかった僕がです。

ハイブランドの服や財布などは、アパレルの仕事を少しやっているので、それもありすごく覚えました。


僕は財布はベルルッティという財布を使っていますが、超お気に入りです。


ドケチで節約な遺伝子が組み込まれていた20年間ですが、稼いでからは使いまくるようになりました。

旅行も行くし、学びにも使うし、面白そうな体験あったら、その日に飛んで、行ってしまうとかあるあるです。

札幌でうまそうな寿司屋があったら、即羽田へgoして日帰りで帰ることもあるし、


僕がお世話になってる起業家が六本木で会員制のイタリアンレストランを経営していたので、君もくれば?といわれて、即引っ越します!と行って、すぐ近くに住んだこともあります。

無論、金はかかりますが、
その分いろんな体験ができて、
どんどん魅力的な人間になれるんですよね。

そうなるとまた時給が上がってしまって、
使うスピードが稼ぐスピードに全く追いつかなくなります。
ぶっちゃけ、使っても使っても使いきれません。


人生長いようで短いですから、
いかにおもろい人間になれるかの追求だと思ってます。


苦手だな。大変そうだな。よくわかんないな。と思ったときこそ成長のチャンスだと思っています。


最初は、起業もビビりまくってましたが、挑戦して本当に良かった。


お金があると、ばあちゃんに電子レンジも買えるし、大事な仲間や恋人にも誕生日サプライズみたいなこともできます。


で、また、お客さんに喜んでもらって稼ぐ。


最高のスパイラルじゃありませんか。

人を恨み、信じれず、愛すことなど不可能だった僕も変われたから、いろんな人に変わってほしいなと思います。


今は本当に人を愛すこともそうですし、
なんか、優しくなれましたね。

自己肯定感も上がりました。
他人の幸せを喜べるようになりました。

人生いくらでも楽しくできるんです。

僕はインスタの他にも、ブログや
Youtubeやメールマガジンもやってるので、ぜひ見てください。

ライン@に登録すると、僕の半生を描いている漫画もあります。

昔マガジンで賞をとった人に書いてもらってるので、絵のクオリティも高いです。


サクッと書くつもりが、がっつりになってしまいました。

僕のことを知ってもらえたら嬉しいですし、これが読んだ人の人生が変わるきっかけになってくれたらもっと嬉しいです。



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僕は月収にして大学生の頃から500万円を稼いでいます。
ですが、
月収500万を稼いでいますというと、
超絶怪しいですよね。
お前には才能があったんだろ?とも言われます。
僕はもともとビジネスが得意だったわけでもなければ、
しゃべるのが得意だったわけでも、
ましてや文章を書くのが得意だったわけでもありません。

そんな僕でも自信を得ることができて、
月収500万円まで稼げるようになりました。
プライベートにもとても良い影響をもたらしてます。
結局慣れなんですよね。

どんな人でも稼げるし

学んでいけば誰でも自信を得て稼ぐこともできる
僕わっきーが慣れて、そして月収500万を稼ぐ過程を下記の記事では公開してます。

月収500万になれた僕わっきーの行動理念

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